Building management & Energy management

努力家トーマス・エジソンが恐れた天才ニコラ・テスラ

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レトロ・アンティークなフィラメント電球
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1970.9/25 東京都出身。 30代のときに異業種から環境プラントへ転職。そこで設備のノウハウを体得した後、40代でビル設備管理業界に入る。その間、数多くの現場を渡り歩きメンテナンス経験を積む。すべて実践で学んだ知識だけを初心者に伝えている。【所有資格:一級ボイラー技士・危険物乙四・第三種冷凍機械責任者・第二種電気工事士】

天才肌が潰される覚悟で努力家とぶつかり合う。

そのような構図は発明家同士だけではないでしょう。

会社員同士においてもあります。

今回は自分の信念を曲げない発明家の生きざまをご紹介します。

あなたがもし上司であれば、今回のお話で部下との関係を学べます。

反対にあなたがもし部下であれば、今回のお話で上司との関係を学べます。



 

エジソンは知ってるけれどテスラは知らないあなたへ

テスラの名前はオバマ大統領の演説に登場しました。

「移民の流入が今日のアメリカを築きました。アルベルト・アインシュタインの科学革命、ニコラ・テスラの発明、アンドリュー・カーネギーの鉄鋼、セルゲイ・ブリンのgoogle…これらはすべて移民の力によって可能になったのです」

2010年7月1日 ワシントン・アメリカン大学での演説です。

テスラは、アインシュタインやアンドリュー・カーネギーらと共に賞賛されました。

優れた偉業を成し遂げたクロアチア移民の一人です。

そして、もうお気付きかと思われますが、この演説の中にトーマス・エジソンの名前がありません。

それには何かの意味が込められているのかもしれません。

当時、オバマ大統領は虚心坦懐に”人類の進歩に貢献した偉人”を厳選したのかもしれません。

私の邪推はさておき…。

これからテスラが成し遂げた”偉業”をお伝えします。

 

私たちは天才の恩恵を受けて生きている

想像してみてください。

あなたは電気のない生活が考えられますか?

照明・テレビ・PC・洗濯機・掃除機の無い生活が。

我々が電力の恩恵を受けられるのは、交流を発明したニコラ・テスラのおかげです。

ところがテスラは研究の途中で、ある人物に振り回されます。

ある人物とは、あのトーマス・エジソンです。

テスラは当時の上司エジソンに対して嫉妬対策をおろそかにしていました。

ついには険悪な関係になりエジソンとたもとを分けました。

そして、その後もテスラにさらなる試練が待ち受けていました。

 

「科学の天才」「電気の魔術師」が『交流』を生み出す

ニコラ・テスラは1856年7月、旧ユーゴスラビアで生まれました。

牧師の父と聡明な母を持つテスラは成績優秀で、特に数学は突出していました。

勉学に励んだテスラはオーストリアのグラーツ工科大学に入学しました。

そこで初めて目にしたグラム機と呼ばれる直流機械装置から交流のアイデアを得ました。

グラム機はモーター回転時に大量の火花が飛び散ります。

それを見たテスラは、そこにエネルギーの損失を見抜きました。

グラム機の大量に飛び散った火花から交流の着想を得たのです。

その5年後にテスラは、友人と公園を散歩中に落ちていた小枝で地面に交流の設計図を書いてみせたといいます。

当時はまだ送電が難しいエジソンの直流が主流の時代でした。

子供の頃からテスラは球型でスベスベしたものを異常なまでに嫌いました。
卵や真珠・ビリヤードボールのようなものを極端に恐れたのです。
「自分の体内に入ったら二度と出ていかないようなおぞましさがある」
といって生涯おそれました。

反対にテスラはとがったものが大好きでした。
特に夜空のイナズマが大好きでした。
夜中であろうとイナズマをどこまでも追いかけたといいます。

 

発明王に挑んだ天才科学者

テスラは23歳の時はじめて電球を見ました。

『電球1個でローソク50個分の明るさがある』

アメリカのエジソンという若者が発明した電球にすっかり魅了されました。

エジソンを尊敬していたテスラはエジソンカンパニーのヨーロッパ法人に入社。

ところが、交流のアイデアをアピールしても理解は得られませんでした。

業を煮やしたテスラは1884年、持ち物を売り払って渡航費用を工面し渡米。

エジソンカンパニー・アメリカ法人の門を叩きました。

電気技師として採用されたテスラはついに、エジソンの助手にまで登り詰めました。

エジソン32歳、テスラ28歳のときでした。

電流には直流と交流があります

直流…エジソンが発明
  • 直流は同じ方向に一定の大きさで電流が流れる。
  • 電球やトランジスタなどに使われる。
  • 直感的に理解しやすい。
  • 送電が難しい。
交流…テスラが発明
  • 電気の流れる向きや大きさが絶えず変わるのでパワーがある。
  • 大型機械や列車などを動かせる。
  • 遠方送電ができる。
  • 電流の流れる方向が乱れる。

💡エジソンの発明品は全部が直流用です。
💡テスラは1881年に交流理論の特許をとっていました。

 

試練

エジソンの助手となったテスラに試練が待ち受けていました。

「発電機2基の修理がキミの初仕事だ。故障原因を見つけて1週間で直せ。(ま、2週間はかかるだろうな)」

エジソンから与えられた初仕事は、あまりの無理難題でした。

ところが、テスラは平静かつ淡々と修理にとりかかりました。

なぜテスラは平静かつ淡々としていられたのか‥。

実は、テスラに特殊な才能があったのです。

それは、一度見たものは写真のように記憶できるといった才能でした。

本を読めば一冊まるごと覚えられました。

また、図面などは一度見ればその機械を組み立てられました。

つまり、機械を見れば頭の中で設計図が描けたわけです。

テスラが幼いころに興味を持ったのが水車でした。
五歳のとき、木製の小さな水車を作り、クルクルと回るその姿に胸を躍らせました。
「いつか、ぼくはアメリカに行って、ナイアガラの滝を利用してエネルギーを作るんだ」
実際にその空想が30年後には実現されたのです。
テスラは幼いころからイマジネーションに溢れ、先見の明もあったのです。

 

本当に天才の99%は努力なのか…

エジソンに「1週間で直せ。」と言われた課題。

それをテスラはなんと6時間で直してしまったのです。

それも2基もの発電機を。

「・・・」

唖然とするしかありません。

エジソンは黙って去っていきました。

普通であるならば、お褒めの言葉をいただいてもよい状況です。

ところが、たったの6時間で修理されては面白くないわけです。

エジソンとしては2週間はかかるであろう当初の予想。

その予想を規格外の天才が大幅に裏切ったわけです。

が、誰が悪いわけでもありません。

エジソンは「天才の99%は努力である」という名言を残しています。

反対にテスラは才能により、短時間で修理を成し遂げました。

努力を信じているエジソンにとって、まさに屈辱でした。

エジソンはひとつひとつ確認しながら、失敗を重ねて物事を成し遂げる努力の人でした。
これに対してテスラは「天才の99%は直感(インスピレーション)」と言ってのけました。
「エジソンのやっている無駄な時間と労力は、私ならちょっとした理論と計算ではぶけるのに気の毒な人だよ」…と、後日語っていました。

 

この奇人変人偏屈野郎がああああ!!!!

「おいテスラ何をやっている!」

「あっエジソンさん。自分で考えた交流モーターの試作品を作っています」

「やめろっ、そんなものー!」

「えっ、やめろと言われても交流理論の特許はすでに取りました」

「いいかテスラ!おれの会社でこんな非実用的な物を作るんじゃあない!誰がこんな危険な電気を使うんだ⁉このスカタン野郎がアーッ‼
高圧線が切れたりしてみろっ!大勢の人間が死ぬぞっ!きさまのやっている事はイナズマと同じ悪魔の電気だっ!」

「やめるなんていやだー!これからは私が発明した交流の時代がくるーっ!」

「ほざくかっテスラ―ッ!」

「殴られたってやめないぞエジソン!」

「殴るだと~テスラ。殴りはしないさこのフニャチンめ。きさまのような奇人変人偏屈野郎にはもっと効果のあるお仕置きをしてやる。おいテスラ、今からオマエに罰として制裁を加える。いいか、これは暴力ではない。もしこれを暴力と呼ぶ者がいるのなら、出るところに出て訴えてもいい…そう滝沢賢治は覚悟を決めていた」

「ビッ、ビリヤードボール‥それだけは‥それだけはやめてください~」

「そうだ、おまえの大好きなビリヤードボールだ。こいつでオマエをグリグリしてやる。骨の髄まで苦しむがいい。さぁ、歯を食いしばれっテスラ!いくぞっ!そ~れグリグリ!そ~れグリグリ!そ~れグリグリ!もひとつオマケにグリグリ!またまたオマケにグリグリ!イェ~~~~ス、タカス~~~~グリッグリッ!」

「ウホッ!やっ、やめろーエジソン!グリグリだけはやめてくれーーーー!!!!ウホッ!ウホホッ!!やめんちゃいやぁぁぁぁぁぁ!!!!ハウーーーーブクブクブクブク」

「なんだよコイツ。泡吹いて倒れちゃったぜ。この安物がっ!ワッピャッピャッピャー‼」

 

きさまはクビだ!テスラァァァァ‼

当時、電源として一般的だった電池は直流でした。

そのため、電流といえば直流が常識でした。

エジソンが発明した白熱電球も直流を使用していました。

エジソンは直流のシステムに大量の資本を投入していたのです。

そういった理由から、テスラは直流信奉者のエジソンに、最後まで交流の優位性を説けませんでした。

そして、テスラは会社を追い出され、職を失いカネに困りました。

また、それだけにとどまらず、次の転職にも困りました。

エジソンが悪い評判を流したからです。

しかし、そこはテスラ、転んでもただでは起きません。

エジソンに失望したテスラは、1885年にアーク燈制作会社を設立しました。

そこで交流システムを売り出す機会をうかがいます。

ところが、資金不足ですぐに会社は倒産しました。

そして路頭に迷い、ついに日雇い労働者になりました。

エジソンにおとしいれられたテスラは、より人間嫌いになりました。
また、神経質だった性格は、より神経質になりました。
具体的には、、、

  • 三つ離れた部屋の時計の音を恐れました。
  • 細菌の汚さを恐れました。
  • 人と決して握手しないガンコ者になりました。

 

没落からの復活

テスラは日雇い労働者として湖口ここうしのぎ、どうにかこうにか生計を立てていました。

そんなある日、著名な発明家で豊富な資金を持つジョージ・ウェスティングハウスがテスラを尋ねました。

「交流の研究資金を都合させていただきたい」

「はぁ?‥私をからかうのか‥」

「からかうなんてとんでもありません。しかし、条件があります。あなたにとって、とてもつらい条件が…それをのめるなら資金を出しましょう」

「・・・」

条件とは、テスラの持つ交流の特許をウェスティングハウス社に引き渡すという屈辱的なものでした。

テスラは沈思黙考の中、葛藤しました。

プライドをズタズタにされてもテスラはエジソンを見返したかったのです。

自分はエジソンをやっつける才能がある。資金さえあれば‥。

熟考の末、テスラの決断は━━

「やむを得ません。交流の特許をお譲り致しましょう」

泣きながらテスラはそう言いました。

テスラは交流の特許を譲る承諾をし、ウェスティングハウス社から資金援助を得たのです。

 

テスラの反撃

「傷を負ったが、死ぬほどの深手ではない…まだやれる」

悪戦苦闘の末、特許を手放したものの千載一遇のチャンスを得たテスラ。

彼はこれを機に発電機や変圧器などの交流システムを一気に開発しました。

エジソンの直流システムに戦いを挑んだのです。

電流システムの覇権を争う『電流戦争』が始まりました。

先行していたのはエジソンの直流システムです。

1879年 白熱電灯用の直流発電機を開発
1881年 ナイアガラ瀑布発電所建設 アーク燈設置
1881年 パリ万国博覧会にて500個もの直流電球を点灯
1882年 ロンドンとニューヨークに火力発電所を設置
1887年 57か所もの発電所を建設 数十万個の直流電灯を灯す

これらの直流システムはたった数年の間で誘致されました。

とどまるところを知らないほどの勢いです。

ところが、直流システムの弱点は改善されていませんでした。

ここで気になるのが、テスラ&ウェスティングハウス陣営です。

彼らは沈黙を守り虎視眈々と機会をうかがっていました。

そして、ついに反撃に出ます。

『交流システムは遠距離送電が可能』という優位性を前面に打ち出します。

そして徐々に、世に解き放った交流システムのアピールが功を奏します。

交流システムの宣伝が侵食し、直流システムの牙城が崩れ始めたのです。

エジソンは慌てました。

「ビジネス上の大打撃だ!交流システムに覇権を奪われれば、直流システムの投資は水の泡になる‼」

 

テスラを陥れるために暴走するエジソン

テスラの反撃により、エジソンはピンチを迎えました。

そして、再びエジソンはテスラを陥れる行動に出ました。

エジソンは世間に交流の危険性を訴えたのです。

まずは動物実験としてイヌ・ネコに交流電流を流しました。

次に死刑囚の処刑に交流の電気イスを導入させました。

徹底したネガティブキャンペーンは人々に交流のおぞましさを植え付けました。

最後は厚かましく自分が開発した直流電流の安全性をアピールしました。

そうして自分の立場を有利にしました。

そこまでして人を追い込むエジソンの心は闇が深かったと言えるでしょう。

エジソンの「動物実験」は、エスカレートして人間にまで及びました。
1890年、世界初の電気イスによる死刑執行は、エジソンの要求通り交流で行われました。
交流は「殺人電流」とまで呼ばれるようになりました。
挙句の果てにエジソンは殺人を「ウェスティングハウスする」と呼ばせようとしました。

 

幼少期のエジソンと心の闇

「A(エー)はなぜP(ピー)と読んでは行けないのか?」「1+1=2と決めつけるのは間違っている」こんな発言を先生に向かって浴びせ続けました。

「モノはなぜ燃えるのか」を知るために自宅を全焼させました。

「人が空を飛ぶにはどうしたらいいか」を実現させるために友人にヘリウムガスを飲ませました。そして、人体実験として扱われた友人は腹痛を起こしもがき苦しみました。

・・・

これらはエジソン幼少期のエピソードです。

そんなこんなでエジソンの素朴な疑問と好奇心は周囲の人を次々と不幸にさせました。

そして、ついに先生から‥

「キミの頭は腐っている。他の生徒たちの迷惑になるから学校をやめてくれないか」と、小学校を3か月で退学クビになりました。

エジソン8歳のときでした。

これらの奇行は彼の成人後もうかがい知れます。

実験台として動物を虫けらのように扱うエジソン‥。

そこまでするかというくらい誇張・強調された言葉を使い人を陥れるエジソン‥。

エジソンは幼少期から発達障害であったと今日では定説とされています。

当時は発達障害の概念が無い時代でしたので、周囲の目も冷たかったと言われています。

ところがそんな中、母ナンシーだけはエジソンへ無償の愛を注ぎ続けました。

 

残虐の相乗効果/発達障害と恨み節がより残虐性を増す?

エジソンの残虐性は発達障害以外にも原因があるのかもしれません。

幼少期に受けた仕打ちにより芽生えたルサンチマン‥それも影響されていると思われます。

残虐性・発達障害・ルサンチマン、それらが心の闇を作ったのでしょう。

しかし、そんな状態でも彼にとって唯一、心の救いがありました。

それは母の愛でした。

母ナンシーだけが彼の理解者でした。

彼女はエジソンの素朴な疑問にとことん付き合い、音を上げることなく答え続け、好奇心を尊重して才能を伸ばしたのです。

そんな理解のある母親でしたが、一度だけエジソンに対して激怒したエピソードがあるといいます。

それは、友人にヘリウムガスを飲ませたあの事件です。

彼女は、人命にかかわることだけは厳重に注意したと言います。

しかし残念ながら、後年のエジソンは母の愛を遠い記憶の彼方に追いやってしまいました。

あの与沢翼も小学校時代はエジソンと同じように先生を困らせ手に負えなかったといいます。

 

『電気の時代』の到来を世界に示した大イベント

「大変です!エジソンさん‼」

「なにごとだね」

「シカゴの産業博覧会にテスラのやつが!とんでもない実験を‼」

「なに!テスラだとー⁉」

1893年に全世界のマスコミや大衆が集まる一大科学イベントが開催されました。

そこに数年間姿をひそめていたテスラが出現したのです。

イベントの衝撃は大きく、後にも先にもない世紀の博覧会だったと言います。

パビリオンの様子は━━

博覧会のシンボル「光の塔」「ホワイトシティ」は、眩いばかりの光に包まれました。

テスラの創り上げた壮麗な光が各国のパビリオンを照らしたのです。

世界中の人々は圧倒されました。

人々はその美しさと明かりのパワーに華々しい未来を見ました。

そしてアメリカパビリオンの特設実験室の中ではなんと、テスラ自ら実験台になり、弱電流のイナズマの中で静かに本を読んでいました。

「交流が危険だって?誰がそんな無知なことを言ったのかね?こんなに素晴らしく美しいのに…いいかね、交流はいろいろな圧力に変圧できるんだ。高圧はたしかに危険だがね…でも圧力を無にすればこんな風に無害な火の玉だって作れるんだ」

これまで誤解されていた交流電流は、人の手で操れるエレクトリックアートにまで昇華しました。

電気をまとったきらびやかな空間アートは、小宇宙と見まがうほどの荘厳そうごんな景色を作り上げました。

テスラの画期的なテクノロジーは明るい未来を予兆させました。

パフォーマンスで示された結果通り、エジソンとテスラの闘いはテスラの圧倒的勝利でした。

一時はエジソンの謀略によって評判が落ちた交流システムでしたが、世界は交流の時代に突入しました。

シカゴ万国博覧会はテスラの勝利が『電気の時代』の到来を約束しました。

テスラは交流システムの開発により巨額の特許料を(二次的に)手にしました。

科学者・発明家としても名声を手にしました。

ヨーロッパの小さな国で生まれ、片道切符でニューヨークに渡ってからおよそ10年、発明王を打ち破って掴んだ栄光でした。

もし電流戦争でテスラが敗れ、直流システムが採用され続けていたら、現代のように電力が広く使われることはなかったかもしれません。

1893年 シカゴ万国博覧会の電流システム入札で交流システム陣営が落札
それだけでも、テスラ&ウェスティングハウス陣営の勝利とも言えます。

1893年10月 ナイアガラ水力発電所の建設が決定
「ナイアガラの滝を利用してエネルギーを作る」という少年時代の夢をテスラは見事に実現しました。

 

美男子イケメンなのに複雑怪奇な性格がアダに

テスラは時代の寵児となりました。

甘いマスクに緩やかにカーブする黒髪を持つテスラは社交界の花形となりました。

連日のように高級ホテルで開かれるパーティーで、女性たちに囲まれる日々を送りました。

そんな幸せな日々に反し、テスラの人間嫌いと潔癖ぶりはますますひどくなっていきました。

食事では━━

「パチン!ヘイ、ウェイター!ナプキンを18枚持ってきてくれたまえ。はいキュキュッと、はいキュキュッと…」

「・・・」

テスラは食事の前に18枚のナプキンで、自分の皿と食器を磨かなければ気がすみませんでした。

また、スープの容量もきちっと計らないと美味しくいただけませんでした。

女性とのお付き合いでは━━

テスラにも好意を寄せていた女性がいました。

お相手は大富豪J・Pモーガンの娘 アンでした。

一方のアンもテスラに恋をしていました。

が、なんと彼女はデートのときにうっかり真珠のイヤリングをしてきてしまいました。

彼女の耳を見るやいなや、テスラは取り乱してしまいました。

トラウマのグリグリを思い出してしまったのです。

結局、二人は二度と会わなくなりました。

そんなこんなでテスラは、生涯独身生活を送らざろう得なくなりました。

190cm以上の長身と端正な顔立ちで、ニューヨークの社交界を賑わせたテスラは女性にモテました。
しかし当時、世界一の女優と言われたサラ・ベルナーの誘いを無視したという残念な逸話が残っています。

 

人生のピークから向かう先は

人生の最上階ピークまで登り詰めたテスラは意欲的に新たな発明を進めました。

そして、たどり着いたのが『世界システム』と名付けられた壮大なる計画でした。

これは、発電所や送電線を省き、エネルギーを無線で送るという夢のようなアイデアでした。

常識を覆すコスト削減を可能にしましたが、残念ながら実現には至りませんでした。

理由は無線通信のライバル会社が現れたのです。

ライバル会社は無線通信に関連する特許を次々に押さえました。

そして、自社を巨大な独占企業へと発展させていったのです。

彼らの技術にはテスラの特許が十七個も使われていたと言います。

それにより、テスラの自尊心は深く傷つきました。

テスラはライバル会社を特許権侵害で訴えました。

裁判は長期化しました。

アメリカ最高裁が『テスラ勝訴』の判決を下したのは1943年6月でした。

が、そのときもうすでに、ライバル会社の成功から四十年近くが経過していました。

時の流れは彼の寿命をも費やします。

実はその半年前の1943年1月にテスラはこの世を去っていたのです。

テスラは『勝利』を享受することさえできませんでした。

もし彼が生きていれば、歴史を塗り替えられたのかもしれません。

 

暗中模索と荒唐無稽

『世界システム』の計画が頓挫して以降、テスラの実用的な開発は垂直着陸機が最後でした。

一時は順風満帆に見えましたが、ライバル会社の出現により、彼は次第に追い込まれます。

そして、特許侵害と長期化する裁判の中で心が荒みすさ、勢い余ってコースを外れます。

テスラはどこへ向かうのか?

そう、彼が向かった先は闇でした。

そのまま闇に向かって迷走します。

暗中模索する中、テスラは荒唐無稽なアイデアを追求するようになりました。

  • 殺人光線
  • 人工地震発生機
  • 無限エネルギー装置
  • 粒子破壊兵器

どれもが非実用的です。

それどころか犯罪です。

研究の段階で罪の中にいます。

もはやテスラは、人のためになる発明をしなくなりました。

周囲の理解を得られない世界に棲み、孤立を深めていきました。

ついには「マッドサイエンティスト」というレッテルを貼られます。

数トンにのぼる設計図と試作品は彼の死後、FBIと軍が没収しました。

自ら闇の中で迷走した挙句、皮肉にも試作品は闇に葬られてしまいました。

『世界システム』は実現できる?

テレビ局などから送られてくる電波は、豆球を灯す程度のエネルギーを含んでおり、原理的には不可能ではないとされています。

1915年 ノーベル物理学賞をテスラとエジソンに渡すと発表

ところが、ふたりとも受賞を辞退しました。その理由は‥「あんなやつと同じ賞なんか受けとれるか!このアッポッポーのポールナルシスがっ‼」(ふたりとも同意見です)

 

勝利と栄光、そして失意と孤独

1937年、テスラ81歳。

なおもニューヨークの片隅でひっそりと暮らしていました。

長年住み慣れていた高級ホテルは、宿泊費の滞納で追い出されました。

金銭面の苦境が深刻さを増したのです。

あれからずっと…

生涯独身で友人も少なかったテスラの心を慰めてくれたのが公園のハトでした。

いつからか…

テスラは傷ついたハトに手当てしたり、エサを与えたりしました。

そして不運…

ある晩、テスラは公園のハトにエサをやりに行きました。

その途中でタクシーにはねられてしまいます。

あばら骨三本を骨折する大怪我でした。

この事故の後遺症に加えて持病の心臓病も悪化しました。

テスラの体力は急速に低下していきます。

1943年1月7日、テスラはニューヨークの質素なホテルで生涯を終えました。

エジソンに勝利して栄光を掴んだ天才科学者は、失意と孤独の中で生涯を終えました。

彼女
その美しく
純白のハトは特別のハトだよ

口笛を吹くと
どこからともなく飛んできて
私の肩にとまるんだ

人ゴミの中でも
公園でも
私を見つけてくれるし
私もすぐに
彼女だってわかるんだ

このハトは私の生きがいだよ
男性が女性を愛するように
このハトを愛してるんだ

 

晩年のテスラがメイドに語った言葉より

テスラの発明理論は、現代科学でも完全に再現できません。

彼の研究内容を必死に研究している科学者もいます。

そんな彼の後を追う科学者もいるくらいテスラは偉大でした。

私たちが今、快適な暮らしができるのはテスラのおかげです。

テスラは未来に生き続ける財産を人類に残しました。

参考資料

『節約社長/web contents:エジソンの母親から教わる「叱ること」の意味』
『あの天才がなぜ転落 伝説の12人に学ぶ「失敗の本質」玉手義朗/日経BP社2019年4月22日初版第1刷発行』
『変人偏屈列伝 荒木飛呂彦 鬼窪浩久/集英社 2012年4月23日第1刷』
『告白 秒速で転落した真実 与沢翼/扶桑社 発売日2014年7月2日』



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